あと2ヵ月もすれば…。
2017年1月6日
こんにちは。
今朝の旭川は冷え込みました。9時少し前、愛車の外気温度計が示した数値は
-14.5度でした…。
朝4時には-19.2度まで下がったそうです。
しかし、旭川の郊外にある江丹別(えたんべつ)では朝4時に-26.6度を記録。市内との差は何と7.4度!
江丹別地区は相当な冷え込みを記録した時、たまにですがニュースとして全国放送されることがあります。道内では陸別町や名寄市、占冠村などと共に低温地域としておなじみです。
その昔、私がまだ小学生だったころ、校舎の暖房はほとんど石炭ストーブでした。用務員さんが朝早くから各教室の“ダルマ型”ストーブに火を点けて回るのですが、気温が-20度を下回った時は教室内が暖まるまで、始業時刻を1時間繰り下げて登校することになっていました。
前日の夜にテレビの天気予報を見て「明日は大変厳しい冷え込みが予想されます。」と聞いた時は、「よし!明日はゆっくり起きれるぞ」ってワクワクしたものでした。翌朝7時前のローカルニュースで、気象台から発表される午前6時の気温がアナウンスされるのですが、ここで-20度以下なら1時間遅れ。上回れば通常の時刻に始業という流れでした。
しかしながら私の期待と裏腹に、7時にこだまする母親の「起きなさ~い!」の声。
眠い目をこすりながら「え~何度さ?」と母に聞くと「-19度だわ。今日は遅れはないね~」とサラッと言われる始末。
それが2月中旬位まで何度となく繰り返されるのです。ワクワク感がガッカリ感に変わる朝の光景…。
私が記憶している限りでは始業時刻の遅れは数えるほどしかなく、6年間で僅か1~2回しかありませんでした。私より先輩の方々は、もっと冷え込みが厳しかった朝、2時間遅れや臨時休校もあったそうです。
現在の校舎は暖房機器の発達や、昔と比べて超低温になることがほとんどないため、始業時刻の繰り下げは無くなりました。
当時は今ほど防寒服やインナーの性能が良くなかった時代。厚手の手袋や靴下を履いていても手先足先は冷たく、しもやけになった日々。吐く息は真っ白く、その息で眉毛やまつ毛が凍り、息を吸い込めば鼻毛が凍る厳しい環境。
それでも子供たちは凍てついた通学路を元気に登校していたものでした。
年齢を重ねて、あの頃の「寒さなんてどうってことないさ」という気持ちは薄れがちになりますが、厳しい冷え込みを嫌と思わず、「あと2カ月もすれば暖かくなるさ~」と前向きに捉えて冬を乗り越えようと思います。
お読みいただきありがとうございました。